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◆戸隠神社(とがくしじんじゃ)
住 所:市原市惣社4-9-18
ご祭神:思兼神、天手力雄命、表春命
上総国の総社として崇敬を集めた神社。総社とは律令制の時代に地域に神社を神々を集めて祀った神社のことです。地名が「惣社」であることからも窺えます。
奈良時代の天平12年(740年)8月初酉のご鎮座。その頃五井の海岸で夜な夜な得体の知れない音に悩まされていました。視力を失い国分寺に祈願した原野藤内が、霊夢に従い橋まで行くと大きな音や異様なにおいとともに輝く光が現れ、両目が回復しました。その光の源から老人が現れ、「私は戸隠大明神。国分寺の境へ祀るように」と告げました。そのお告げに従ってお祀りしたのがはじまりです。(異なる伝承もあります)
◆白幡神社(きみづか・しらはたじんじゃ)
住所:市原市君塚5-24-15
ご祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
『君塚村誌』に「日本武尊御東征の際、御休憩の塚に御杖を立てさせ置かれしより武ノ塚神と尊称し、村落を郷と称す。治承4年源頼朝公東上の砌御休憩の際、日本武尊の垂跡なりと御聞ありて白旗1流を納めしめて御祈願あり、随従の武者上指の矢1筋宛納められしと。該矢の根ならん異形錆腐鉄数十ケは文政9年正月の火災にて類焼す。会々ここにて千葉介常胤の使者と会い喜び見ん塚なりとのことより武ノ塚を喜見塚と称す。尚、白旗永存せしを以て何時となく白幡神社と尊崇したりと」と記す。
◆稲荷神社(きみつか・いなりじんじゃ)
住所 :市原市君塚1-28-23
御祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
永正6年(1509)6月2日、権少僧隆成より稲荷神社への、「本地は十一面観世音」なり、との識文に
上総国市原郡武埜郷君塚とある。
本社は享保14年9月28日贈正一位稲荷大明神と号し、明治3年12月稲荷神社と改称する。
昭和20年1月12日火災の為本殿・拝殿・神輿その他の参考資料を焼失した。
また、君塚481番地に鎮座していた大宮神社(祭神:大己貴命)を稲荷神社境内に遷座して祀っている。
◆稲荷神社(いわさき・いなりじんじゃ)
住所:市原市岩崎1-36-5
御祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
天保13年(1728)5月創建。本村共有の寄附による。天明4年(1784)再建。天文の頃、海嘯の災い罹り旧記什宝など悉く流出し、その由来は不詳となっている。
◆岩野見社(いわのみしゃ)
住所:市原市岩野見439
別名:水神社(すいじんじゃ)
ご祭神:水波女命
創建年代など不詳。明治4年に村社に列する。現在の社殿は平成8年新築。
◆前廣神社(さきひろじんじゃ)
住所:市原市西広6-14-13
ご祭神:大山祇大神
『三代実録』に「清和天皇貞観十年丁未九月十七日正六位上前広神社へ授く」とある。
鎮座年代は未詳なれども、弘仁年間(810~823)に勧請されたとも伝わる。
現在の社殿は昭和12年(1937)新築、平成11年(1999)瓦葺から銅板ぶき屋根へと改められる。
◆諏訪神社(すわじんじゃ)
住所:市原市諏訪2-2-8
御祭神:武御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀賣命(やさかとめのみこと)
言い伝えによれば、大永元年、信濃源氏村上大蔵大輔義芳が上総の村上に築城し、信濃国諏訪の上下諏訪神社を当所に祀ることを願い、重臣高沢監物に申し付けて神璽を遷し奉斎した。その際神主黒川左近も同行奉仕したという。
ちなみに千葉市中央区浜野浜野町445鎮座の諏訪神社は、信濃国より神璽を奉遷の際に浜村(現在の浜野町)に寄宿したことをご縁として諏訪大神を祀られたのが起源と伝わる。
◆白幡神社(むらかみ・しらはたじんじゃ)
住所:市原市村上1097-2
ご祭神:日本武命(やまとたけるのみこと)、源頼朝
言い伝えによれば、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、上総に逃れて再起を図った際、村上にて一夜を明かし記念に植えた松を白旗の松をと称したという。後世、里の住民が頼朝を追慕して当社を建立したと伝わる。
◆八幡神社(はちまんじんじゃ)
住所:市原市五井5024
別名:若宮八幡神社
ご祭神:大佐佐気命(おおささきのみこと)
~仁徳天皇のこと。応神天皇第四皇子。母は皇后仲姫命。
応神天皇崩御の翌年、難波高津宮でご即位。
自ら衣食住を節検し国家富饒に尽くされた聖帝。御陵は百舌鳥野御陵~
伝えによると、清和天皇の貞観年中(859~877)の勧請という。
治承四年(1180)、源頼朝が安房国より上総を経て東上の際、千葉常胤と一族の物が当社の社頭で頼朝を迎え、戦勝祈願をしたといわれている。
その後、建久年間(1190~1198)、永正年間(1504~1521)に社殿の改造が行われている。また、永正三年四月三日、鉄製の牛頭天皇の懸仏が寄進された。永禄四年(1561)年改修。元和四年(1618)、再建。天和三年(1683)中島図書重高が十一面観音を修復。元禄四年(1691)、領主神尾五郎太夫が、本殿を再建。
承徳四年(1714)、名主中島重利らが、拝殿を修復。享保二十年(1735)に遷宮。宝暦十二年(1762)、末社水神社鳥居建立。天保三年(1832)、大鳥居奉納。明治四十四年十二月二十一日、無格社水神社・同十二月二十五日、無格社大六神社を合祀。大正十一年、村社に列する。大正十二年に皇太子殿下(後の昭和天皇)ご成婚を奉祝して御輿調進。
昭和六十二年四月四日(土)午前十時三十分頃、子供の火遊びにより出火。幣殿・拝殿を焼失。昭和六十三年、再建。
◆宿大神社(しゅくだいじんじゃ)
住所:市原市五井中央西1-13
別名:宿割大荒神(しゅくわりだいこうじん)
ご祭神:
言代主命
~大国主命の子。大国主神に代わって、国譲りの言葉を述べた神。~
興津彦命
~大年神の子。おき火(炭火を炭火の奥に活けて火種としたもの)の神。~
興津姫命
~興津彦命と対になっている神。竈の守護神。~
養老側の川岸から、原前大六天に遷座し、万治二年(1659)年現在の鎮座地に移った。
万治二年、五井の宿割りをした際に用いられた縄と、幣束を社殿に納め五井宿の守り神として祭られた。また、塩焼き業に欠かせない竈を守る神として崇敬を集めた。宿割荒神とも呼ばれるのはそのためである。
宿大神社の例祭日は、十二月一日である。例祭日には、つくめまい(筑摩舞とも)と呼ばれる舞が演じられ、鍋釜市が開催されたと伝えられる(現在の五井大市の起源)。つくめ舞は、現在行われていないため詳細は不明であるが、文書には以下のように記されている。
市街の中央に高さ二丈余りの大柱二本を組建て、柱の頂上には麻布にて周囲八尺余経二尺許の球形をを造り、太き麻縄二本を結び以て階梯とし多人数をしてそれを左右に引かしめ、舞人は獅子の仮面を冠り白衣の装束を着し、頂上に昇りて舞を奉すを以て例とす。世俗に之を五井のツクメ舞と称せり。
ツクメ舞が盛大に行われていた頃、万治年間より、五井は大きく発展し始めた。万治元年八月一日、深川の釜六・釜七という金物屋が鍋釜市を開いたのが、徐々に盛大に行われ、五井宿の守護神として尊崇を集めていた当社の祭礼と重なり、現在の五井大市へと発展していったと言われている。
当社は、江戸時代の五井宿の地頭神尾家の崇敬も厚く、神尾家の紋入りの祭器具や調度品の寄進もあったと伝えられている。明治十七年の火災により焼失し今に残されていない。その後、明治十七年に神社再建、昭和七年の修繕を経て今に至っている。
◆稲荷神社(かし・いなりじんじゃ)
住所 : 市原市五井6449
別名:富貴稲荷神社、幸稲荷神社
ご御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
須佐之男命の子。神大市比売を母として、大年神と共に生まれる。
『和名抄』に「稲魂、和名宇介乃美太万俗云宇加乃美太万」とあることからら稲の霊の神とされる。
享保十三年(1728)、有馬家の代官粟原市之右ェ門が湊新田(今の川岸)に勧請。
江戸御上館の稲荷と同号の幸稲荷・冨貴稲荷とよばれた。
享保3年(1718)の棟札がある。宝暦6年(1756)に北五井名主中嶋甚五左衛門、惣氏子により再興。
文政5年(1822)建て替え。文政13年(1830)に五井惣船持中により檜皮葺の屋根に改められた。
社殿に見事な彫刻が随所にみられる大きな社殿が特徴である。
◆阿波須神社(あわすじんじゃ)
住所:市原市五井3389
ご祭神
天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)
治承4年(1180)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房より上総を経て北上の折、
当地に留まり阿波須権現を勧請し、武運長久を祈ったと伝わる。
時に家僕岡崎某が、石橋山の戦いで敗れた頼朝公を慕い、公の行方を陸路より追跡したところ、
図らずも当所阿波須権現の森にて会見することができたという。
宝治元年(1242)社殿改造。以後、建武2年から宝暦元年までの400年間に5度の社殿改造。
明治34年社殿改造。現在の社殿は昭和60年新修造された。
天比理刀咩命は安房神社のご祭神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神にあたる。
◆熊野神社(くまのじんじゃ)
住所:市原市五井東3-9-3 ご祭神:素戔嗚命(すさのおのみこと) 例祭日:2/11
古老の言い伝えによれば、寛政年間以前に櫛御気野命(素戔嗚命)を祀るという。寛政7年銘の神幟に「熊野三社大権現舞社講中」とある。昭和49年頃、土地区画整理により五井4646より現在地へ移転し、社殿を新築した。
◆八雲神社(やくもじんじゃ)
住所:市原市出津102 別名:天王さま ご祭神:素戔嗚命(すさのおのみこと) 例祭日:7/27夏祭り、11/23新嘗祭、3月第2土曜日 慶長年中の創建。棟札には、「享保6年及び19年に社殿御扉改造、寛政9年本社拝殿修造、文化13年境内末社4社建立、天保11年石造鳥居新造、嘉永6年本殿拝殿改造、昭和48年新修造、是即ち現在の社殿なり」と記載される。 大正末まで春祈祷と称し、旧暦2月7日に神前にかがり火を焚き五穀豊穣・悪疫祓除の祈願祭があり、前年の神符を本年の神符と交換し、境内の樹木の皮を持ち帰ったという。湯立ての神事も行われたという。現在、3月第2土曜日に執り行われる春のお祭りは、春祈祷を継承する神事と考えられる。
◆稲荷神社(たまさき・いなりじんじゃ) 住所:市原市玉前136 ご祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと) 宝暦9年徳川氏の代官吉田源之助が勧請した。寛政5年遷宮の棟札がある。維新前、代官および旗本榊原氏の信仰深く、毎年幣帛料が献じられた。「天保15年9月28日氏子中」銘のある石造狛犬1対がある。
◆厳島神社(いつくしまじんじゃ) 住所:市原市岩崎483 ご祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 保暦?12年3月、村の中村次郎右ヱ門が自己の資金を以て造立した。明治15年9月共有の寄附により再建した。
◆大宮神社(ひらた・おおみやじんじゃ) 住所:市原市平田842 ご祭神:国常立命(くにのとこたちのみこと) 例祭日:10/15 創建は詳らかではないが、棟札に天平元年(729年)と記されていたことから1300年程の歴史を有する。 また、こちらも棟札に宝永4年(1707年)8月に社殿を再建したことが窺える。
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